発掘された縄文土器のカケラ探して、5,000年ぶりに接合させよう!



何のために接合するの?

 博物館で見る完全な形の土器は、縄文人が意図的に埋めたものである場合がほとんどで、多くの土器はバラバラに壊れて出土します。バラバラになった土器を接合することで分かることは3つ考えられます。

1 小さな破片ではわからない文様構成や器形が判明する→詳細な時期推定が可能となる→同じ時期に使われた土器の出土量の把握に役立つ→その時期の遺跡の規模や性格また、遺跡の存続時期の推定に役立つ。

2 出土した土器は、出土地点と層位が記録されているので、それぞれの土器片の出土地点を線でつなぎ、その累積を接合状況図にまとめることで、地点間の時間関係(新旧関係)や場所の性格の推定に役立つ。

3 壊れてバラバラになって以来(今回の場合推定5,000年くらい)接合すること自体が、パズルゲームに通じる「楽しさ」もあります。  ただし「パズルゲーム」と違うのは、ピースが完全に揃っているかどうかも解らないこと。また本物の土器を扱うので、取り扱いにはとても注意を要します。

 講師をお願いした小林謙一先生は、縄文土器の詳細な型式学的研究による相対的な年代変遷と、土器に付着したおこげのC14年代測定による実年代の統合によって、縄文社会研究の新しい視点の構築を目指す研究者です。三鷹市では発掘体験ワークショップなど、多くの市民むけ講座や講演会で講師を務めておられ、着実に三鷹の縄文ファンを増やして下さっています。 

 

 

▲作業を始める前に、縄文土器の編年や土器の見方、時期による文様や器形の変遷についてお話しされる小林謙一先生。

  ▲この青いシートの上に広がっているのがこれから分類・接合作業をする縄文土器。最初はランダムに並んでいます。
 

▲似ている土器を集めて別のテーブルに移動。最初のテーブル(手前)の土器は次第に少なくなり、分類が進んで行きます。

  ▲「これに似たのなかったっけ?」「向こうのテーブルにあったよね?」パズルを解くように、縄文土器と向き合います。

  本物の縄文土器に触ることに最初は恐る恐るでしたが、皆さんだんだん作業に熱中して、分類作業は順調に進みました。今回分類・接合作業を行なったのは、市内大沢地区の原遺跡出土の土器です。縄文時代中期前半の住居跡1軒分の土器をまるごと対象としました。

 原遺跡は、後期旧石器時代の前半期から連綿と人々の営みの跡を残す大規模な遺跡で、特に縄文時代中期前半の遺構・遺物が密度濃く発見されています。今回対象としたSI-15住居跡は、該期の遺構が特に集中する地区に位置します。

 

 

▲原遺跡SI-15住居跡 発掘調査のようす。出土した遺物は1点ごとに番号をつけ、出土地点(公共座標のxyz)を記録します。

  ▲原遺跡SI-15の炉体土器。住居跡の床面の調査後、床を断ち割って、土器の埋設状況を記録しました。

 

 作業は、似ている文様と色調の土器を集めることから始めます。すると次第に、表面のきめの細かさや粗さ、また胎土に含まれる小石などによる全体の印象の違いにも気づき始めます。小林先生による土器型式別の文様の見分け方のポイントの指導によって、だんだん目が肥えていくと、異質な文様や、雰囲気の違う土器がはじき出されていきます。それらは小林先生の鑑定によって、前期や後期、また北関東など他地域の土器であることが判明しました。中期前半集落の住居跡から、別の時代や地域の土器が含まれていたのです。遺跡形成の複雑さと当時の他地域との交流がうかがい知れる直接的な証拠が得られたことになります。

  また似たもの同士が集められた分類が進むと、次々に接合の報告があがり始めます。ただし参加者からは、思ったより接合しないことに驚く声もありました。博物館などに展示している完形土器が改めて貴重であることにも思いいたります。

 「時間が足りない!午後もやりたい!」という声も聞かれ、早くも次回でのリベンジを期して、講座は無事終了しました。

 

 
▲接合することを確認したら、土器の裏側にチョークで印をつけます。個体の全容が見えてくるまで接着剤は使いません。   ▲手詰まりになってきたら、あらかじめ割っておいた植木鉢で接合の練習。モチベーションも復活します。
 
▲この個体は、だんだんカタチが見えてきました(写真奥右側)。   ▲作業の後は、小林先生に講評をいただきました。

 体験講座終了後、原遺跡SI-5住居跡を含む地区の調査について、小林謙一先生にご指導いただきながら、整理調査を開始しました。体験講座での分類・接合の成果も、もちろんそのまま活かされています。