市内初!平安時代の竪穴住居跡を発見

 大沢地区の天文台通り拡幅工事に伴う発掘調査が、約3年半にわたる断続的な調査期間を経て、本年3月末で終了します。旧石器時代から近世まで、幅広い時代にわたる多大な成果を上げることができましたが、特に注目されるのは、旧石器時代の多数の貴重な資料(これは後日報告予定です)と、市内で初めて発見された平安時代の竪穴住居跡2軒(4号・5号住居跡と呼びます)です。 これまで三鷹市の平安時代については、新川地区の島屋敷遺跡で土坑が発見されたほか、いくつかの遺跡においての土師器や須恵器など断片的な資料の発見に留まっていましたが、竪穴住居跡をまるごと検出できたのは初めてのことです。なお、平成15年度に整理調査を行い、年度末には報告書を刊行する予定です。
  4号住居跡

 天文台裏門近くの斜面に位置します。平面形は3.5m×2.8m程の長方形で、床の周囲には幅10cm程の溝が巡っています。
 また、北東向きのカマドがあり、カマドの構築材である粘土や川原石が一部原形を留めていました。カマドの周囲からは土師器・須恵器の破片が多く出土し、これらは煮炊き用の甕や食器である碗など、日常生活に密着した器ばかりです。これら土器の年代が10世紀頃であることから、平安時代の住居跡と判りました。
  5号住居跡

 4号住居跡から約400m南に離れた地点で発見されました。3.5m×2.8m程の長方形で、4号住居跡と同様の溝が一周し、床や壁の形態もよく似ていますが、この住居のカマドは北向きです。4号住居跡に比べると、カマドの焼土の量が少く、これは使用期間の差に係わるものかもしれません。カマドの中心には長細い石が立てられていて、煮炊きの際に土器を乗せる台(支脚と呼ばれる)の役目をしていたようです。カマドの周囲には、薪と思われる木材が炭化して残っていました。炭化材は、今後に樹種同定や年代測定などの科学分析を行う予定です。
 遺物は土師器・須恵器のほか、鉄製品が出土しました。鉄製品は錆に覆われていますが、形状から鋸(のこぎり)と思われるものがあります。出土した薪も、この鋸で切ったのでしょうか。
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